将監エンゼル助産院
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天使のささやき「しあわせってなあに」
2011年6月13日 mam smileのベビーマッサージ体験会『ぴよぴよクラス』を定例開催します(^-^)v
 
ロイヤルセラピスト協会のメンバー、上田奈美さん(Mam smile代表)主催の、ベビーマッサージ体験会『ぴよぴよクラス』を定例開催いたします。ホームページも参考にされて、是非参加してみてください。
◎場所:将監エンゼル助産院、
◎時間:14時〜15時、
◎2011年6月22日(水)。
◎内容:
Lesson 1:ベビーマッサージを体験しよう
♪ベビーマッサージの効果、
♪オイルについて
♪リラクゼーション・足のマッサージ
♪交流のためのティータイム…等。
(以後、希望される方には、Lesson 2:お腹と胸、3:背中と進みます。)
◎定員:親子5組(一歳未満対象)
◎参加費:2000円(オイル/防水)シート/お茶付き、連続コースは6500円。
◎申し込み先:0223448893(上田奈美)、e-mail:mam-smile@ever.ocn.ne.jp
◎http://ameblo.jp/mam-smile-2009/です。
◎ベビーサインも開催予定です。
2012年2月7日 ▼(^_^)/はっぴぃ育児各駅停車\(^_^):
 
三人目にして初めて卒論を書きます。 おっぱい先生との出会いは、8年前の大船渡会場で、母乳がでない…ということで相談したのではありませんでした。 逆に母乳がよく出て乳腺炎を心配しての相談でした。長男長女次男と3人お世話になり3人、とも上手に卒乳することができました。 いろいろあった私の母乳育児を振りかえってみたいと思います。 三回の母乳育児でしたが、一番最初が大変だろうと考えていました。母乳の量については長男の時に教えてもらった、冷やすこと、食べ物などに気を付けることでだいぶコントロールできるようになりました。 また、私は左の乳首が陥没していたので、吸わせるということに関しては、苦労しました。 一人目二人目と苦労はしたものの、日がたつ毎に乳首にくっつけるようになっていったので、三人目も同様にいくだろうと考えていました。 しかし、三人目にして今までにないトラブルがありました。三人目は生後三週間ごろ、まだ吸えずにいました。 せっかく母乳が出るのに、哺乳瓶で飲ませる悲しさ、吸わせてあげられない悲しさが増えました。 でも、ちょうど、そのころ施術日があり、おっぱい先生に直接診ていただきました。 施術後、おっぱい先生はいつもの調子で、こういうときはこうしてね…と優しく話して、その場で乳首を息子に吸わせることができたのでした。本当に嬉しい瞬間でした。 吸えるようになると、今度は息子の吸う力に耐えられなくなり、乳首が裂けることが11ヶ月頃まで続きました。痛みに耐えながらの授乳が続きました。 授乳が終わり乳首を見ると血が滲んでいることもありました。さらには、痛みを感じながら授乳をしていたとき、息子の顎に血が流れているのを見て驚きました。 すぐにおっぱい先生に連絡すると、気を付けることを教えていただき安心して授乳を続けました。 痛みが治まってきたかと思うと、また別のところが裂け、痛みとの戦いでしたが、飲ませるのをやめようと思いませんでした。おっぱい先生がいたからだと思います。 施術が二ヶ月空くことをおっぱい先生はとても心配してくださっていました。 乳腺炎になってしまい、○△町の自宅にまで往診に来ていただいたこともあります。 三人目の時は熱も続くことがあり、病院に行くと、飲ませないでください、離乳食を食べているのなら止めたらどうですか、と話され、私の気持ちと合わず肩を落とすことが多くありました。 でも、おっぱい先生は、飲んでもらって治すというやり方、さらに、施術で悪い所を見つけ、たまった母乳を出してくださることで熱もすぐに下がりました。 本当におっぱい先生に支えてもらって母乳育児をすることができました。 おっぱい先生に出会えて良かったと感じています。 断乳の日の最後の授乳の時のもう飲ませられないという寂しさと子供のこの日までの成長の嬉しさの入り交じった気持ちは、未だに思い出すときがあります。きっといつまでも忘れないと思います。 私たち家族は温泉に入ることが好きで、機会があれば大きなお風呂で温まります。三人の母乳育児を終えて痩せてしまった私の胸を見ながら、主人がボソッと言った言葉があります。 主人は「よその人に見られると悲しい?」と聞いてきました。私の胸は痩せてしまった上にしわしわになっているのですが、「ちっとも恥ずかしくないよ。母乳で育てた証だもの。」と答えました。 普段はあまり、そんなことを言わない主人の言葉で、改めて母乳育児をしたんだと、誇らしくなりました。     (岩手県、E.T) 付録<おっぱい先生から  教えられた素敵な言葉> @母乳は期間限定の神様からの贈り物:神様から与えられたおっぱいなんだと、考えさせられました。出て当たり前だと思っていましたが、この言葉を聞いて、授乳出きる時期を楽しみたいなと思った言葉でした、 Aまあるくて、やわらかくて、あったかいおっぱいが○:心にストンと響く言葉でした。施術後のおっぱいを触るとよくわかります。おっぱいもそうですが、心もそうなりたいと思った言葉です。 B施術の時のおっぱい先生との何気ない会話、教えていただいた様々な対処法:私のおっぱいの特徴、固くなったときのほぐし方、じゃがいも湿布、血液さらさら食べ物などなど、自分でできることが増えました。
2010年9月15日 (^_^)/はっぴぃ育児各駅停車\(^_^):3
 
 娘を出産して4日間くらい、私のおっぱいはほとんど出ませんでした。吸わせても、娘のお腹を満たせず、泣いてばかりで夜中もまったく寝てくれず、どうしたらいいのか分からないほどでした。
 ふらふらになりながら、廊下をあやしながら歩き回ったり、ひたすら出ないおっぱいを吸わせました。見かねた助産師さんから「このままだとお母さんが倒れちゃうから、3時間くらい預かるよ」と言われ、娘を預かってもらい少し寝る事が出来ました。
 病院のサロンではおっぱいの出るママ達が、助産師さんから吸わせ方を教えてもらったり、「おっぱい張ってきたねぇ…」とか言っているのが聞こえてきました。娘は糖水を飲み、その日はぐっすり寝たそうです。
 3日目くらいからはおっぱいを搾り、それに糖水を足してスプーンで飲ませるというやり方をしました。3時間以内にあげるというので、やっと1時間かけておっぱい糖水をあげたと思うと、2時間後にはまた起きて…という繰り返しでした。
 

 退院する前の日の午後、私のおっぱいを見た助産師さんが、「このおっぱいどうしたの!?」と言ってマッサージをしてくれました。みんなおっぱいが張って痛いと言っていたので、私のおっぱいもとうとう張って出るようになったんだなぁ…というくらいにしか思っていなかったのですが、他のママ達よりかなりパンパンでいっぱい出るようになっていたようでした。そこから私の「キャベツ&保冷剤」の日々が始まったのでした。
 退院の日、何かあっても助産師さんにすぐ助けてもらえないんだ…、これから1人でおっぱいと戦っていくんだなぁ…、これから大丈夫かなぁ…という不安でいっぱい泣きました。


 退院後の一週間検診の日、おっぱいチェック&マッサージがありました。私のおっぱいはまだパンパンで痛くて、何とか保冷剤で気を紛らわしたりしていました。「こんなに張ったおっぱい、怖くて動かせない」と言われ、ベテランの方にマッサージしてもらったり、また食事の指導をされたりと、こんなに毎日色々気をつけたりしているのに、どうやったら私のおっぱいは落ち着くのか…と焦るようになりました。
 娘にも、飲みたくないんだろうけど飲ませたり、あまり飲まない娘に逆にイライラしたり、毎日ピリピリしていました。夜も昼もいつでも、おっぱいをあげたらキャベツで冷やして保冷剤を当てて…という作業に追われるだけで、本来の母乳で育てる喜びよりも、早くこの作業から解放されたい…この張るおっぱいから解放されたい…おっぱいやめて早く楽になりたい…とだけ思うようになりました。
 それから3週間位して、右のおっぱいが左よりも二倍の大きさになっているのに気づきました。あわてて病院に電話してマッサージを受けましたが、右を吸わせるのが多いのではないかと言われて、左から吸わせてみてとアドバイスされ、食事も油物・お菓子・肉等は制限し、お風呂はシャワーだけで、お湯に浸かるときは、胸より下だけでねと言われました。
 娘を産んでお風呂に浸かれるようになったのは、1年後の断乳の後1ヶ月位してからでした。

 その後も病院で、定期的にマッサージを受けていましたが、2ヶ月経っても落ち着きませんでした。
 保冷剤も当てないとおっぱいの張りが気になり、張って苦しかったので外出もほとんど出来ませんでした。娘も授乳クッションがないと上手に飲めなかったので、外でのおっぱいは難しかったです。
 今思うと、娘が上手に飲めないのではなくて、飲ませてあげられなかったのだと思います。



 そんな私が「将監エンゼル助産院」のことを知ったのは、通っていた病院に有った、桶谷式の母乳育児の本の裏表紙でした。病院のおっぱいマッサージに1ヶ月に2〜3回通っているのに一向に落ち着かず、先の見えない母乳育児を早くやめたいと思っていた頃でした。
 病院のマッサージは、行くたびに違う助産師さんだったために、私の辛さが上手く伝わらず、質問しても答えが違ったりと、何を信じて母乳を続けていけばいいのか迷って悩んでばかりでした。
 そして3ヶ月程経ったころ、病院の助産師さんに「もう自己管理でやってみて」と言われてしまいました。私にとってはすごくきつーい一言で、奈落の底に突き落とされた気持ちになりました。
 私のおっぱいが落ち着いてきているのか、これからどうやって母乳を続ればいいのかなど、同じ助産師さんに診ていただきたいとずーっと思っていました。そこで思い切ってエンゼル助産院に電話をし、マッサージをして頂く事にしたのです。



 初めてのマッサージは、搾乳中心の病院のマッサージと180度違い、おっぱいの底を開けるマッサージでした。正直痛かったです。
 でもマッサージを受けた後のおっぱいは、本当に自分のおっぱい!?と思うくらい、フワフワのポヨンポヨンでした。
 その日からすっかり枝先生の大ファンになり、1ヶ月に2回通いました。私のちょっとした質問にもすべて答えて下さり、今まで早くやめたいと思っていた母乳育児が楽しくなってきたのです。
 何かあったらすぐにメールで伝えられるので、気持ちが前向きに明るくなりました。そして「一歳までは母乳で育てたい!!」って強く思うようになりました。
 

 何とか維持しながら10ヶ月を過ぎた頃、急にトラブルが続くようになったのです。左のおっぱいがカチコチになって、固い砂粒のような栓が詰まることが続き、たびたび助産院に駆け込みました。原因は色々推測されたのですが、人工甘味料のせいではないかと思われました。
 何度も続くので、「予定より一週間早く断乳出来ないかなぁ…」と枝先生に言われました。私としてはあと一週間頑張りたいと言う気持ちと、このおっぱいの調子ではもう無理かも…という思いが行ったり来たりしていたので、枝先生にすぱっと言われて、気持の整理がつきました。
 断乳は思っていた以上に大変でした。おっぱいが好きじゃないと思っていた子どもが、一週間うつ状態になったり、あんなに快調だったウンチが出なくなりました。落ち着いてくるはずのおっぱいは、一向に張ったままだったり…。
 しかし、そんな私に枝先生はずっとつき合って下さり、子どもの便秘も一緒になって心配して下さったり、アドバイスをたくさん頂きました。
 そしてしばらくして…、私のおっぱいのトラブルと子どもの便秘の原因が同じで有る事が分かったのです。


 実は私は、人より腸が長くて、便秘に悩まされていたのです。ずっと我慢していたのですか、産後10ヶ月の頃から、毎日漢方薬と時々下剤を飲み出し、便秘が解消されて快調でした。
 その頃、子どもの虫歯を防ぐ「ハキラ」というお菓子をたくさん食べてから、おっぱいトラブルが始まったのです。先生は「ステアリン酸カルシュウム」が怪しい…と言ってました。また漢方薬の中には「ステアリン酸マグネシュウム」が入っていたのです。二つとも甘いみたいで、断乳後はしょっぱくなるはずの母乳が2週間以上も甘かったので、張りが治まらなかったようでした。
 子どもの便秘やうつ状態も、漢方薬や下剤が入った母乳を飲んで快調だったのに、断乳したらもろに影響を受けていたのでした。子どもが自力でウンチをしたのは、断乳後12日経ってからでした。
 ついつい薬に頼った私でしたが、思い切って飲むのをやめたら、おっぱいの張りも沈静化しました。
おかげさまで、子どもは毎日ウンチをし、今ではモリモリ食べて元気に歩き回っています。私のおっぱいは、一ヶ月半過ぎてやっとホニャホニャのちびっ子パイパイになりました。
 今は、呼吸法やマッサージをしたりして、漢方薬や下剤なしで頑張ってます。


 ここに書ききれないほどたくさんの出来事が有りました。
 でも、その一つ一つを乗り越えて母乳育児を終えられたのは、枝先生がいつもそばにいて下さったからです。そして家族の支えなくして子どもをここまで健康にすくすくと成長させる事は出来なかったと思います。
 正直、また母乳育児をしたいかと問われれば、間違いなく答えは「NO」です。 でも私は枝先生がついていて下さるので、また母乳育児をすることになってももっともっと楽しく明るく子どもと向き合えると確信しています。
(平成22年8月吉日、泉区:H.S)
2010年6月4日 (^_^)/はっぴぃ育児各駅停車\(^_^):2
 
 出産を終え母乳で育てることに喜びを感じ始めていた矢先、生後2ヶ月を過ぎた頃に突然、娘がおっぱいを飲む時に泣いて嫌がるようになりました。
 待てども待てどもおっぱいを欲しがらない、時間を見計らってあげても仰け反って嫌がる。
 赤ちゃんはおっぱいが大好きと聞いていたので嫌がって泣く娘を見ながら私も涙する日々でした。すごく辛く、どんどん授乳が憂鬱になっている自分がいました。
 実は娘は、覚醒している時は絶対に嫌がって飲まないのです。寝入りばなや眠っていないと飲んでくれないのです。
 おっぱいを飲ませてお昼寝をさせる…のではなく、お昼寝をさせないと飲まないので、皆さんとは逆なのではないかと思います。
 が、この子にとって、このおっぱいしか生きるすべはないので、飲ませなければ…という気持ちだけで、何かいい方法が見つからないかと試行錯誤しながら、出産した病院の助産師さんや、行政の保健師さんや支援センターの方、思いつく所には全て相談しました。
 …が、答えはいつも『飲まないわけないけどなー』の一言。少しなだめたりあやして気分を落ち着かせてからあげてとのことでした。
 そんなことは私でもやっているし、まるで我が子はおかしい!?と言われているようでとても悲しかったです。

 そんなもうどうにもならないという、どん底の時に出会えたのが枝先生でした。
 枝先生は私の話を聞いてくれ『大丈夫。お母さんに応用問題をくれてるだけだから赤ちゃんにあったやり方をすればいいの。寝ないと飲まない子を他にも知ってるよ』と、娘を受け入れてくれた上でのアドバイスをたくさんくださいました。
 私達をわかってくれる方にようやく出会えたと救われる思いでした。

 卒乳するにあたって理想は自然卒乳でしたが、やはり娘はおっぱいを欲しがらないことが多く、自分のおっぱいの状況にも、過敏に反応したりして…。
 いろいろ行き詰まっていた時に『そろそろ卒乳のことを考えてみてもいい時期…なのかもね!?』とアドバイスをいただきました。10ヶ月の頃でした。
 私は、7月の帰省が済んでから…と考えていて、頭に全くないことだったので不安でしたが、この時も話を聞いてくれ『おっぱいをあげてよかった…と思って卒業した方がいい』と言う言葉に導かれ決断しました。
 確かに…私はかなり追い詰められていたように思います。

 卒乳中困ったことは、泣いても抱っこできないことでした。
 正確には、娘の場合、やはりおっぱいを欲しがるそぶりはありませんでしたが、私をすごく必要とし、抱っこばかりせがんできました。
 ガチガチに張ったおっぱいで娘を抱くことがすごく大変でした。
 寝ている時しか飲んでいない娘なので、おっぱいの存在をわからないと思っていましたが、娘にとってもおっぱい(抱っこ)が精神安定剤であったことがよくわかりました。
 そんな時も的確に指導していただいたおかげで、無事卒乳できました。離乳食をあまり食べなかった娘が、たくさん食べるようになりました。
 今は、(周囲の方にいろいろ言われてたので…)早く卒乳してしまったことに対しての罪悪感や後悔を膨らませることなく、私達母娘にしか分からない達成感を味わい、これからまた違った形で娘に愛情をたっぷり注ぎたいと思うことができました。

 この思い出深い母乳育児を、娘が大きくなったら必ず話してあげたいと今は思っています。
 最後になりましたが枝先生には本当に感謝しています。ありがとうございました。
 母乳育児は終わりましたがこれからもよろしくお願いします。(平成22年6月吉日、泉区:M.T)
2010年6月10日 (^_^)/はっぴぃ育児各駅停車\(^_^):1
 
 仙台に来て、右も左も分からない時から、枝先生には本当にお世話になりました。
 引っ越す前から、オッパイが詰まることが本当に悩みであり、恐怖に近い思いを持っていたので、助産院が近くに有ったことは、私にとって救いでした。決して大げさでなく…です。
 六ヶ月までは安定しなくて、本当にしんどかったです。母乳で子供を育てたいという思いは強かったですが、こんなにトラブルがあるとは思っていなくって、今思えば勉強不足で甘かったなぁと思います。
 子供に卵アレルギーがあったことも反省せずにはいられません。
 そんな私に、枝先生はいつも優しくアドバイスしてくださり、『ご苦労さま』と声をかけられると、ホッとしました。育児で家族から誉められることはなかったので、『よく頑張ってますね』と言ってもらえたことが励みになりました。
 オッパイがよく詰まっていた時は、精神的にも不安定だったので、マッサージをしていただいて…悩みを聞いていただいて…で、ようやく気持ちを保っていたように思います。
 助産院がなかったら、枝先生がいなかったら、途中で挫折していたと思います。
 断乳するまでの一年三ヶ月、終わってみればあっという間ですが、子供とオッパイを通して培った絆は、強い自信になっています。
 特に断乳する時は感動しました。前もって子供にも自分にも言い聞かせていたためか、子供はいたってあっさり卒業してくれてらこちらがちょっと寂しいくらいでした。
 時期もとっても良かったと思っています。オッパイがないとダメだと思い込んでいるのは親なんだなと思いました。子供にとっての初めての試練。一緒に乗り越えることができて良かったです。
 ほとんど食べなかった離乳食も、今ではしっかり食べ、オッパイで元気な腸になったおかげで、腸炎にかかっても、ひどくならずに回復しました。母乳育児から、たくさんのプレゼントをいただきました。
 断乳した後のオッパイはバンバンで…本当に辛かったのですが、きちんと搾乳してもらったので、安心して二人目を考えることができます。二人目が授かったら、またよろしくお願いいたします。(平成22年5月吉日☆泉区:Y.T)


2010年5月4日 はっぴぃ育児ステーションから、出発進行\(^o^)/
 
開業以来のキャッチフレーズ『あなたにもできる母乳育児 将監エンゼル助産院』を、新しいキャッチフレーズ『すこやかな未来を母と子に M&B はっぴぃ育児ステーション 将監エンゼル助産院』に変更いたします。
Mはママ、Bはべびぃです。ということは、ママからみんな生まれるので、すべての方が対象になります。
またM&Bは、心と体とか、優しく美しいともとれます。
これからも、奥が深い…母乳育児支援にこだわって行くことには変わりありませんが、家族の絆のことや姿勢のこと等、今まであまり接点のなかったママやべびぃ、元ママや元べびぃのお役に立てるように、私自身の器を広げて行きたいと思っています。
揺りかごから墓場迄…というフレーズが昔ありましたが、あらゆる世代の方々に『はっぴぃ育児』を体験していただけるよう、母乳だろうがなかろうが、そのママとべびぃに一番の『はっぴぃ育児』を提供できるように、垣根を超えて模索して参ります。
ここがはっぴぃ育児のより良きステーションになれますよう、夢と希望を乗せて、新しい線路も増やして参ります。
これからも、ご指導よろしくお願いいたしま〜〜す。(^_^)/▼☆▼\(^_^)

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